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本谷見付の守りの風景

本谷道の守りの要、本谷見付周辺を見通せるようになりました。

観音寺城の大手道と伝わる本谷道は、見付谷とも呼ばれています。おそらく、幾つもの見付で強固に守られている様子からこのように呼ばれるようになったのでしょう。故田中政三氏は「この筋はふもとから山頂まで階段状に七十余段、石がき積みの曲輪 が構築されて、城の正面を守るだけに、鉄ぺきの備えである」と評しています。
目に飛び込んでくるこの本谷見付の佇まいからは、中枢部である本丸の一画(本丸・平井丸・落合丸・池田丸)の手前で敵の侵入を阻むべく築かれた、強靭な造りの見付の姿が脳裏に浮かんできます。
そこで今回、整備の進展により見晴らしがよくなった本谷見付とその周りの様子を紹介したいと思います。

城域中心部手前に置かれた豪華な石造りの要塞
本谷遺構主要部

本谷見付:正面より

本谷見付は、伝的場から 30~40m 北西に位置しています。伝的場から西に向かい本谷道に入ると、突如目前に見付石垣が現れます。本谷道はこの見付の直前で東西分かれ、本谷見付石垣はその2本の道の間に築かれています。東側の道は伝進藤邸と通路で密に結ばれており容易に行き来できます。また、西側の道からは伝三の丸方向に向かう道が分岐しています。この2本の道には石段が施設されており大変立派なものに見えます。一旦二手に分かれた道は散策路付近で交わりますが、一本に合流するのではなく交差しています。この2本の道の間の斜面は石垣で埋め尽くされており、他には見られない独特の景観を呈しています。  図表PDF版  調査済石垣マーキング有り

 

本谷見付のロケーション

本谷道は、南斜面の要所を占める後藤・進藤エリアの西脇を通っており、本谷見付は進藤邸の中段付近に位置しています。本谷道はこの見付の手前で二手に分かれています。

本谷筋主要部:川並区有文書所収の城跡図に加筆

江戸期に作成されたとされる絵図に加筆。当方が知る限り、本谷見付が記されている唯一の図表。往時の様子を伝える秀逸な絵図であるが、近年の縄倍図に記されている郭名との食い違いも見られる。例えば、後藤邸の西隣にあるはずの進藤の名が、なぜか扉石郭付近に記されている。
また余談として、本谷上り口あたりに石垣の図とともに大門の名が記されている。村田修三氏はこれを本谷見付と称されているが、ここではこれに倣わず、この絵図に記されている本谷中腹の見付を本谷見付と称している。

本谷筋主要部:五箇荘町史添付の城跡図に加筆

近年に作成された地形図に加筆。緑の実践は整備中の古道で青の二重線は既設の散策路。幹線に加え間道も多い。本谷道が見付の手前で二手に分かれている様子がよくわかる。二本の道の間は、防御目的とみられる石垣で埋め尽くされており、まさに石造りの要塞というに相応しい様相を呈している。この付近に土塁は見られず削り残しにより生じた高低差と石垣で防衛線が形成されている。しかし石材の大量投入にょって固められたその防衛線は、極めて豪華で強靭でなものに見える。

 
本谷見付が象る守りの風景

本谷見付の背後には高度に削平された郭が広がり、棚田のように連なった石垣造りの一画が存在します。これらにより生み出された守りの姿は、他に類を見ない観音寺城独特のものであるといえます。

蘇れ、まぼろしの本谷道

ここ数年の竹に伐採により、本谷主要部の道筋が開け、多く遺構を目にすることができるようになりました。城内道の基軸としての姿を取り戻しつつありますが、長い間密林に覆われていた事で人々の関心は未だ遠退いたままであるといえます。今後は道筋の整備に加え、愛好家の皆さんへのの紹介が欠かせません。少しでも多くの方に足を運んでいただき、幻と化した本谷道を現世に呼び戻すべく画策しでいるところです。

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