全般私的縄張考

観音寺城造築の流儀|削り出しと石垣

観音寺城の本谷周辺の郭には土塁などの土を盛ったような痕跡が見当たらず、ほとんど真っ平な広場の様相です。
その代わり削り残しによる増築が行われており、スロープやその側面を固めた石積み、その上に敷かれた石階段などを見る事ができます。このようなスロープや石普請がなければこの付近はタダの広場にしか見えません。
そこで、この削り残しと石普請を観音寺城の特徴的な技法ととらえ、その現場を見てみる事にします。

まず、本谷見付を超えたあたりの様子をご覧下さい。
正面にスロープが見えますが、この上面のラインは元の山の斜面そのもののように見えます。
積雪のため、スロープの全景や石垣の様子がよくわかりませんが、削り出されたスロープや壁面に施された石垣が見て取れます。
土を盛るのではなく、削り残しで立体を作る。そしてそれを石で固めるというのが観音寺城造築の流儀なのかも知れません。

そこでもう一つ、お花井戸と伝三の丸とを結ぶルートを見てみます。

お花井戸郭の東端あたりから西方向を望む

ここにも、削り出されたようなスロープがあります。削平時の残土で郭が広げられていますが、スロープの傾斜は下の斜面の傾斜とほぼ一致しており、これが斜面の削り残しである事がわかります。そしてこのスロープの上面には石段のような痕跡が残っています。

そこで、妄想が沸き上がってきました。
このスロープ、実は工事中だつたのではないか?。そして最終的にはここに豪華な石段を築いて本丸の大手階段と結ぶつもりだったのではないか?という推定です。まさにこれは素人の発想ですが、途中に石垣もあり、スロープに入る角度によっては横矢も効きそうです。
根拠に乏しい妄想ではありますが、あながちあり得ない話では無いように思えます。
また今回初めて「工事中」という視点で考察してみましたが、これが案外、不可解な縄張りの謎を解くためのヒントになるのかも知れません。

以下は伝三ノ丸に登る、スロープ周辺の様子です。このスロープも削り残しのように見えます。

 

※ ルート図の背景画像は、観音寺城跡ブックレット から引用。以下は当時の発掘現場の様子。

以下は本谷見付周辺の様子です。この付近でも削り残した地形が見て取れます。

以上、日頃目にしている現場の風景が沸き起こした妄想でした。

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