伝平井丸虎口と宮津口筋
伝本丸から伝池田丸に至る一帯は観音寺城の主要部とされており、それに相応しい豪華な遺構が残されています。本丸に向かって一直線線に伸びる立派な石段に加え、巨石を積み上げた伝平井丸の虎口の豪華さには目を奪われます。
しかしこの一角は城域の西の端に位置しており、立地的には観音寺城域の中心ではありません。むしろ、六角氏の地盤とされる常楽寺・金剛寺城エリアや、伝追手道を介して繋がっている山麓の伝御屋形跡との位置関係を考えると、六角一族にとって使い勝手の良い位置に築かれているように思えます。
平井丸についてはその豪華さと本丸との一体性から、一家臣の舘ではなく六角氏の主殿であり、伝本丸は六角氏の常御殿であるとする意見が大勢を占めています。そして伝平井丸の虎口は主殿としての威厳を示すかのような豪華な面構えになっています。また虎口の脇(平井丸内部)から本丸に向かって通路が延びており、施設が密集する平井丸中央部に深く入る事なく本丸と行き来できるようになっています。この豪華な石済みの伝平井虎口が増造築される前は、伝平井丸を経由せずに伝本丸に登城できたのではないでしょうか?
伝平井丸虎口(右)と、宮津口見附(左)。写真はクリックで拡大できます。
伝追手道が登り着く伝池田丸から、伝三ノ丸付近まで延びる通路があり、伝平井丸にはこの通路を通って入る事ができます。以下はその道筋の様子です。2009年の行われた整備直後の状態です。写真は 美しく生まれ変わった追手道 (kannonjijo.com) からの抜粋です。
伝池田丸から伝平井丸に通じる道。写真はクリックで拡大できます
伝平井丸虎口にはその重要性を裏付けるかのように、多くの道が集まってきています。伝御屋形跡から延びる伝追手道がこの一角への幹線とされていますが、それ以外に本谷から分岐した道も通っています。さらに、西側の斜面には宮津口道道があり、この道が登り着く平井丸虎口の横には宮津口見附が築かれています。この宮津口道を歩いてみると、石垣や石段は随所に見られ、間道というよりはむしろ幹線のように見えます。西側斜面にはは薬師口道が本丸に通じていますが、これに対して宮津口道は伝平井丸虎口に直接通じる幹線としての役割を果たしていたのではないでしょうか?
以下は宮津口筋でみられる石垣の写真です。この道筋には2段に分けて積まれた石垣があり、観音寺城解体新書でも取り上げられています。
写真は 観音寺城、宮津口を下る (kannonjijo.com) から抜粋です。2008年12月7日の撮影です。元記事には石垣以外の写真や解説がありますのでぜひご覧ください。
宮津口筋にある石垣。写真はクリックで拡大できます
伝平井丸と伝本丸とは、郭の内部でも道が繋がっています。伝本丸への来訪者は主に、伝追手道と宮津口道から城内に入り、伝平井丸を経由して本丸に向かっていたのではないでしょうか?